タイの伝統人形劇”アクサラ人形劇”と日本の文楽。

スーパーリッチで両替を済ました後、セントラルワールドプラザ前で開かれている中国正月のイベント会場で、食事を買って帰ることにした。

イベント会場に行くと、閑散としていた先日とはガラリと変わり、大いに盛り上がっている。さすがに近く中国正月を迎えるだけある。

そして、特設ステージではなにやらイベントが行われている。

「あっ”アクサラ人形劇”だ!」

この人形劇については実は常々興味をもっていたが、実際に目にする機会はなかった。ということで、軽い興奮を覚える。ただ残念なことに、僕が舞台を見始めてから2-3分ほどで終了してしまうくらい、物語は終盤に差し掛かっていた。

アクサラ人形劇は、3人でひとつの人形を操って進行する劇である。3人でひとつの人形を操るという形態は、日本では”文楽”に相当しよう。というよりも、世界を見渡しても、3人で人形を操って劇を行うというのは、アクサラ人形劇と文楽のみらしい。

文楽とは人形浄瑠璃である。

そもそもの文楽は、1人が操り師が人形を操っていた。しかし、1734年に、竹本座にて「芦屋道満大内鑑」が上演される際に、吉田文三郎という人形遣いの名手が「操り3人がかり」と呼ばれる操り方法を考案・導入したという。以後、徐々に3人遣いが浸透しはじめ、宝暦期(1750年代)には現在ある形態になったのだ。

3人遣いは、「主遣い」(人形の首と右手担当)「左遣い」(左手担当)「足遣い」(足担当)に分けられる。主遣いになるには、「足十年、左十年」の修行が必要とか。

うーん、大変。


さて、アクサラ人形劇。

今回は終盤ということで話はさっぱり分からなかったが、中国の”天女の舞”か、インドの叙事詩”ラーマキエン”か。まぁ、ちょっと分からなかった。

最後に、人形がキッスをして人形劇は終わった。



去り際に、観客にワーイ(タイ人の挨拶)をして舞台を去っていったのは、タイらしく微笑ましい。



多くの外国人観光客も満足げに拍手していた。

さて、ほんの2,3分見たかぎりで気づいた文楽とアクサラ人形劇の違い。それは、

①3人で人形を操るには違いないが、文楽とは担当の仕方が少し異なる。アクサラでは、”右手と体”担当、”左手と体”担当、”そして”足”担当に、分担。アクサラでは、文楽のような”主遣い”というような中心的人間はない、のかもしれない。

②文楽は男性のみが人形を操るが、タイのアクサラ人形劇は女性も操る。しかも、女性の人形は女性が操っていたので、人形の性に人形遣いの性をあわせている可能性がある。

③アクサラ人形劇において人形を操る人びとは、上半身を使って人形を操るだけでなく、下半身は踊っている。アクサラ人形劇は、人形を操る人びとの踊りの要素も重要となっていると考えられる。文楽にはこの要素はない。

ということだろうか。

③に関していうと、たとえば、タイには、以前このブログでも少し触れた影絵芝居ナン・タルンというものがある。この影絵芝居の人形遣いは、タイの伝統仮面劇コーンの踊り手である。上半身を使って影絵をスクリーンに映し出しながら、下半身はコーンを踊っているのだ。

だから、上半身で人形を操りながら、下半身は踊るという形態は、タイではさほど珍しいものではないと思う。

それに、アクサラ人形劇は、タイの伝統仮面劇コーンの演じ手を父とするサーコン・ヤンキアウソットによって広められたということも、アクサラ人形劇における人形遣いの下半身の踊りの表現に多分に影響しているのであろう。

つまり、アクサラ人形劇では、使われる人形だけじゃなくて、人形遣いの踊りも組み合わさって、ひとつの劇が表現されるのである。

まぁ、しつこいようだがあくまでも印象なので、もっと深くつっこんでいかねば本当のところは分からない。内容面や舞台構造、音楽、観客など、はっきりいってなにも把握できていない。そもそも、なぜ文楽とアクサラ人形を比較するのか、その意味も分からない。

というか、ちゃんとアクサラ人形劇を丸々一本みなきゃだめだろう。

ということで、どこで見れるか調べてみた。

バンコクランナム通りの免税店キングパワー内に、アクサラ・シアターaksra theatreという劇場がある・・・・なんだ、アパートから歩いて5分もかからないじゃないか。



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