イサーンの村の”先生”と、至極の時間。

イサーンの村々を歩いていると、自分の村の歴史や文化を丹念に調べている”先生”と呼ばれる人物に出くわすことが多い。

本当に学校で教鞭をとっているわけではないが、”先生”として村人から大いに尊敬されている。

確かに”先生”は勤勉で、「村博士」といった態である。



また、”先生”は、人材育成にも非常に熱心だ。

子供たちに自分たちの村の歴史や文化を調べさせたり、村の要人にインタビューをさせて映像化したり、あるいはセミナーにおいて子供たちの発表の場を必ず設けたりしている。

自分たちの村のことを自分たちで調べて気づかせ、考えさせ、発信させる。そうした環境を整えているのだ。



ところで今、イサーンの村人の多くは携帯電話を所有し、また徐々にだがインターネットも普及し始めている。

村人は世界につながるツールを手に入れつつあるのだ。

そのため今後、そうしたツールを利用して、イサーンという、我々先進国から見ると辺境に位置する地域から、情報がどんどん世界に発信されていくことだろう。

     ”地域住民が主体的に自ら発信する情報”

それは、これまで、人類学者や社会学者などの一部の学者だけが担い、発信してきた”情報”を相対化する、大いなるパワーをもつはずだ。


その意味でも、今後そうした情報発信の主役となる子供たちを育成していく”先生”は、重要な存在である。



とまぁ、村の”先生”の重要性を書いてみたけど、でも、僕は何が好きって、それは”先生”のお宅での緩やかな時間の流れだ。


村人から多くの尊敬を集める人物というのは、やはり徳があり、穏やかで、そしてなにより謙虚なことが多い。

”先生”が、つたない僕のタイ語にもちゃんと耳を傾け、お話してくださる、そんな緩やかに流れる時間が、いやはや、至極なのである。




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